TOP 梅辞典 梅の郷、青谷梅林をご案内します。 梅辞典 梅の郷、青谷梅林をご案内します。 京都の南、城陽市に青谷梅林があります。2月、3月の花の時期には大阪や神戸など、主に近畿圏から多くの観梅客が訪れます。 満ち満ちて梅咲ける野の見えわたる 、、、、 と歌人、上田三四二が詠んだように、青谷梅林はかつて広大な梅林でした。明治の中頃には多くの文人が訪れ、紀行文にも紹介したため全国的に有名な梅林となりました。日本経済新聞で「行きたい梅の名所」全国9位に選ばれるなど人気のある梅林の一つです。 また青谷梅林には城州白という他にはない良質の梅が採れるところでもあります。この青谷梅林の良さをより多くの人に伝え、この梅林がいつまでも栄えることを願い、梅工房では青谷の梅を使った商品の開発と販売に取り組んでいます。 青谷梅林は、文献によると江戸時代の初期か中期に始まったと考えるのが妥当なようです。 このころは梅の実から烏梅(うばい)とよばれる媒染剤(ばいせんざい…紅花で布を染める時に使う色素定着剤)がつくられ、これが結構な収入になったので、農家は競って梅を植えたようです。青谷は梅の生息に適した土地だったようで、瞬く間に梅林の規模は大きなりました。かくして青谷は「烏梅を産出するの多き、他に其の比を見ず」と言われるような広大な梅林になったようです。 明治になって海外から化学染料が輸入され、烏梅の需要が急速に減ったため、青谷梅林も衰退し始めました。 しかし、この青谷梅林の衰退を憂えた村の有力者が「青谷保勝会」を作り、「梅肉」や「のし梅」などの新製品の開発や、「青谷絶賞」という観光のPR誌を発行するなどの努力をした為、一躍全国でも有数の名勝として知られるようになりました。これを機に多くの文人や歌人が青谷を題材に紀行文を書いたり歌を詠んだことで、青谷には文化の香りが残されました。 戦争で打撃を受けた青谷梅林でしたが、昭和30年ごろの焼酎ブームにのって焼酎漬用の青梅の販売を行ったり、大粒で香りのよい梅「城州白」が注目されるようになり、これが菓子用の梅、梅酒用の梅として重用されるようになりました。 現在、青谷は約45軒の農家があります。約20ヘクタールほどの面積に約1万本の梅を栽培しています。年間130トンほどの梅を出荷していますが、その50トンは城州白です。 歴史ある梅の郷。 のどかな梅林を歩くと連綿と続いてきたくらしのにおい。ほっとするあたたかさです。 梅の花がほころび始めると、梅の一年が始まります。忙しくも幸せな梅仕事の一年です。 今年の梅もおいしいかな? 青谷の梅農家は45軒ほど。若い農家さんも がんばっています。 木になったまま完熟を待ちます。 このころの青谷は、桃に似たような城州白の香りに包まれます。 ひとつひとつ丁寧に並べ、 ひっくり返し・・・。 大変だけど、手間隙かけた分だけおいしくなるのです。 地域の人に応援してもらいながら、梅干しや梅製品を売っています。 一方では、地域の農産物などを売り、地域の人が集いふれあい地域が活気づく拠点になりたいと考えています。 梅辞典
梅の郷、青谷梅林をご案内します。 京都の南、城陽市に青谷梅林があります。2月、3月の花の時期には大阪や神戸など、主に近畿圏から多くの観梅客が訪れます。 満ち満ちて梅咲ける野の見えわたる 、、、、 と歌人、上田三四二が詠んだように、青谷梅林はかつて広大な梅林でした。明治の中頃には多くの文人が訪れ、紀行文にも紹介したため全国的に有名な梅林となりました。日本経済新聞で「行きたい梅の名所」全国9位に選ばれるなど人気のある梅林の一つです。 また青谷梅林には城州白という他にはない良質の梅が採れるところでもあります。この青谷梅林の良さをより多くの人に伝え、この梅林がいつまでも栄えることを願い、梅工房では青谷の梅を使った商品の開発と販売に取り組んでいます。 青谷梅林は、文献によると江戸時代の初期か中期に始まったと考えるのが妥当なようです。 このころは梅の実から烏梅(うばい)とよばれる媒染剤(ばいせんざい…紅花で布を染める時に使う色素定着剤)がつくられ、これが結構な収入になったので、農家は競って梅を植えたようです。青谷は梅の生息に適した土地だったようで、瞬く間に梅林の規模は大きなりました。かくして青谷は「烏梅を産出するの多き、他に其の比を見ず」と言われるような広大な梅林になったようです。 明治になって海外から化学染料が輸入され、烏梅の需要が急速に減ったため、青谷梅林も衰退し始めました。 しかし、この青谷梅林の衰退を憂えた村の有力者が「青谷保勝会」を作り、「梅肉」や「のし梅」などの新製品の開発や、「青谷絶賞」という観光のPR誌を発行するなどの努力をした為、一躍全国でも有数の名勝として知られるようになりました。これを機に多くの文人や歌人が青谷を題材に紀行文を書いたり歌を詠んだことで、青谷には文化の香りが残されました。 戦争で打撃を受けた青谷梅林でしたが、昭和30年ごろの焼酎ブームにのって焼酎漬用の青梅の販売を行ったり、大粒で香りのよい梅「城州白」が注目されるようになり、これが菓子用の梅、梅酒用の梅として重用されるようになりました。 現在、青谷は約45軒の農家があります。約20ヘクタールほどの面積に約1万本の梅を栽培しています。年間130トンほどの梅を出荷していますが、その50トンは城州白です。 歴史ある梅の郷。 のどかな梅林を歩くと連綿と続いてきたくらしのにおい。ほっとするあたたかさです。 梅の花がほころび始めると、梅の一年が始まります。忙しくも幸せな梅仕事の一年です。 今年の梅もおいしいかな? 青谷の梅農家は45軒ほど。若い農家さんも がんばっています。 木になったまま完熟を待ちます。 このころの青谷は、桃に似たような城州白の香りに包まれます。 ひとつひとつ丁寧に並べ、 ひっくり返し・・・。 大変だけど、手間隙かけた分だけおいしくなるのです。 地域の人に応援してもらいながら、梅干しや梅製品を売っています。 一方では、地域の農産物などを売り、地域の人が集いふれあい地域が活気づく拠点になりたいと考えています。 梅辞典